「自由」の下で得られた中国人の証言。それに比べて本多勝一の「中国の旅」は信用度ゼロ

 中国共産党とその同調者の日本批判はまったく信用できない。平気で捏造するし、しかもそれを恥じることなく大々的に宣伝するし、公平さにまったく欠けているからである。
本多が、「中国の旅」で取材した人物は、すべて本多が自由に会ったのではなく、中国当局が用意した人物である。

 だが、中国生まれでも、公平な人物もいる。金文学氏(註1)の著書より引用する。
 本多が取材した証人はすべて、中国当局が用意した人物。一方、金文学氏が聞き込み調査した人物は同じ中国人でも、中国当局の用意したのではなく、「自由」に会ったひとたちである。

《わたしは、1997年から数年間、学術論文のため、満州映画を中心に、東北の長春などで聞き込み調査を行ったことがあります。また、満州国崩壊後ソ連軍によって持ち去られた満映のフィルム300巻を丹念にチェックしましたが、それらの映像は、満州国の繁栄振りを雄弁に物語っていました。中国でも、日本でも、満映のフィルムを見た人は数少ないと思われますが、このフィルムに映された満州を見る限り、「略奪」や「搾取」「地獄」のイメージを読み取ることはできなかったのです。
 わたしの聞き込み調査の中で、大変驚いた証言が返ってきました。当時満州国で暮らした多くの人々は、実体験を交えながら、こう語りました。
「現在の共産党時代は国民党時代より劣り、国民党時代は日本の満州国時代より劣る」
「もしも満州国がそのまま維持されたならば、現在のようなみじめなことはなかった。日本みたいに発展したはずだ」
 満州映画製作所で働いていたZ氏は、「日本人は残虐だ、悪人だと言うけれど、わたしはそんな日本人には会ったことはない。われわれは仲良くやりましたよ」と回想しています。》「反日に狂う中国、友好におもねる日本」金文学著。

《私は何回も満州でフィールドワークをしていますが、満州国時代を経験した老人たちは、「日本人があのままずっと統治しつづけていたら、満州は日本並みの近代国家になっただろう。その後、共産党に支配されたことが不幸だった」と言っていました。
 実際、日本が満州で行ったインフラの整備は素晴らしいものでした。中でも特筆すべきは、当時の日本にもなかった「アジア号」という世界一の超特急ですね。》「中国国定教科書」(金文学・井沢元彦共著)金文学著述分より。

 本多勝一が取材した人物はすべて中国当局が用意した人物である。本多勝一が書いた「中国の旅」なる本は中国当局の捏造話を垂れ流しただけの信用度ゼロの本でなのである。

『「朝日」に貶められた現代史』(田辺敏雄著、全貌社)は、その実証精神といい、一次資料にもとづいた記述といい、日本近代史の基本文献の一つといってよい本である。

 本多が書いた「中国の旅」では、出てくる証言者は、すべて中国当局が用意した人物である。一方、この本に出てくる証言者は、いうまでもないが日本当局が用意した人物ではなく、すべて著者個人が自由に会った人達で、その証言は「自由」の下で得たものである。
中国当局が仕組んで捏造した証言を、そのまま信じ込んで垂れ流した「中国の旅」とは大違いである。

 本多は「中国の旅」の中で万人坑は日本企業のしわざと報道したが、田辺氏は当時の日本関係者から証言を聞き、ことごとくそのデタラメぶりを暴いてみせた。さらに中国の権力者は平気でウソを捏造し、それを大々的に宣伝するということも暴いてみせ、さらにそれを信じ込んで報道し、間違いを訂正しようとしない朝日新聞のあきれた実態も暴いてみせ、朝日新聞というのは有害な新聞であることも暴いてみせた。

 多くの人に『「朝日」に貶められた現代史』を読んでもらいたいが、残念ながらこれを出版した全貌社は廃業した。そこで図書館で見る(借りる)か、古本として手に入れるほかない。各地の図書館はホームページをもっているし、アマゾンなどのように、古本を扱う業界のホームページもある。そこで検索すれば、簡単に見つかります。

『「朝日」に貶められた現代史』の著者田辺敏雄氏のホームページ
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/
脱・洗脳史講座で検索しても出てきます。

 なお、満州国秘密警察の極秘文書であった「大観園の解剖」は原書房から復刻出版されている上、インターネットで検索したところ、東京都内の図書館でも、20カ所以上で閲覧できるので、簡単に見ることができます。
 「東京都立図書館」のホームページから「東京都公立図書館横断検索」をクリックして、その場面で「大観園の解剖」と入力して検索すれば簡単に所蔵図書館が見つかります。東京都以外でも、各県の図書館はホームページをもっているから、そこで検索すれば簡単に見つかると思います。

註1 金文学(きん・ぶんがく)氏の略歴。
 1962年、中国瀋陽で韓国系3世として生まれる。生まれと環境から、中国語と韓国語は完璧にできる。中国の大学で日本文学科卒業、1991年来日、日本で大学の講師をつとめ、専攻は比較文化、および文化人類学。日中韓の三カ国語を自由にあやつることができ、三カ国語の著書は30冊をこえる。

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